自然再生エネルギー

◆風力発電の国として世界に知られている、北欧デンマークでは、地球環境によい再生可能エネルギーということとして風力発電を始めた。今も発展を続けている。2030年までにウィンドファームを海上に建設し国内消費電力の50㌫を賄う計画である。

しかし・・・である。
 風力発電には弊害がある。風車の発する音が問題になっている。国民の多くが、風車の発する低周波の音により悩まされている。頭痛が生涯続く事になる。また国中に風車が建ち並び道路が張り巡らされる。美しい景観は次第に損なわれてゆく。そしてメンテナンスの費用も大きく、そうとうな手間がかかる事も課題となっている。オランダの風光明媚なたたずまいを思いうかべる優雅な風車ではない。首都コペンハーゲンでは不足分の電力をバイオマス発電している。聞こえは良いけれども牧草を燃やしているのである、当然、CO2も発生する。それでも電力は不足、隣国スウェーデンから原子力発電の電気を大量に買い取り使用している。 風車は、風力を弱める、結果、乾かなくなる。洗濯物の話ではない。大地自体が乾きづらくなりじめじめした気候になる。思いもよらない弊害が起こることもあり得るのである。確かに自然再生エネルギーとしてエコなイメージが強い、けれども面積にして約9倍、約20倍を超える日本の人口を同じような方法でまかなうことは難しい。健康を害されることは誰も望まないだろうし山や河や海に風車が林立し、メンテナンスのためのインフラがはりめぐらされ車が走り回る。日本の美しい景観を失うこともまた、国民は望んでいないだろう。日本では、大陸棚に風車を設置せず海の上に設備を浮かべる洋上風力発電という方法もあるが・・・
我が国の北の果てともいえる北海道の稚内では盛んになり風力発電の設備が数多くあります。しかし送電などのコストや買取料の値下がりなどで採算がとれていません。
◆一昔前に話題になった太陽光発電、福島原発の事故発生以来また注目を集めている。山脈が多く平らな土地の少ない我が国では、ビルの屋上や民家の屋根に太陽電池を設置しても2~3%にしかすぎない。作物を作っていない休耕地に設置する案もあるけれども、なぜ休耕地になっているのか、農作物の価格が下がり採算がとれないというところもあるが、段々畑が点在していたり、日当たりの悪い農地が多く太陽光発電に向いていないところが多いという話である。日照時間の短い場所や点在した段々畑のような場所に太陽電池を設置して電気を集めてそれを配電する今の技術で可能であろうか?
仮に可能であっても、コスト面で採算がとれるのか、当然、メンテナンスも必要になる。エネルギー安全保障の面から考えると多方面からのエネルギー確保は必要である。エネルギー安全保障や経済の活性化を考慮して国の事業として無理矢理行ったとしても日本人に対しどこまで経済効果の裾野が広がるものか疑問も残る。
「自然は人間に優しい」と思いがちである。しかしこの考え方は少し違っている。人間は、自然と闘って生き残ってきた生物である。太古の時代の氷河期から、地震・津波・台風・噴火、猛暑による熱死、また寒さのための凍死、これらは、すべて地球の地殻の変動や月の引力、遠く離れた星太陽の活動など自然エネルギーの影響によって起こされている。大自然のエネルギーは人間にとって過酷なのである。太陽の活動とは核融合である。人類にとってもあと数十年の研究で有効なエネルギーとして実用化できる見込みである。

しかし、扱い方を間違えれば空前の大災害につながる。失敗する確率もある。勿論、上手にコントロールすれば人類にとって無尽蔵のエネルギーになるわけだが。

すなわち、人間は、自然の力の優しい一部分だけを使用する事しかできない。論理的に考えると風力発電や太陽光発電など自然再生エネルギーは日本の発電の一部の方法か一つの時代の通過点ということになる。残りの電力をどうまかなうのか。我が国で、風力発電や太陽光発電を普及させるなら深く考えておかなければならない。すべての安全や技術は子々孫々に受け継がれる。
エネルギー安全保障の問題は、人間として行わなければならないことの次になる。   

  
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